2025-08-25
住宅探訪・地域探訪

足利観光で建築めぐり―足利学校・鑁阿寺(ばんなじ)・栗田美術館を歩く

足利学校の入徳門

6月22日(日)、初めて足利市を訪れ、歴史的建築を巡る一日を過ごしました。


足利市は栃木県内に位置しながら、宇都宮からは高速道路を使っても1時間以上掛かります。鉄道でもアクセスしにくいことから、宇都宮市民にとっては縁遠く、「足利市は、ほぼ群馬」という印象すらあります。私自身も足利に親類や縁故はなく、訪れる機会はこれまでありませんでした。

それでも「日本最古の学校」とされる足利学校の存在は広く知られており、建築好きにとって足利市は見逃せない街です。今回は「建築を観る」という視点で足利を歩き、その魅力を確かめてきました。

足利には、足利学校(学ぶ建築)、鑁阿寺(守る建築)、栗田美術館(陶磁器を魅せる建築)の三つの名所があります。それぞれが異なる歴史と建築様式であり、まち全体も落ち着きがあり、「建築史の教科書」のように感じられました。

私は特に、栗田美術館をお勧めします。栗田美術館は、創立者の栗田英男氏の蒐集(しゅうしゅう)の執念が感じられる、大規模個人美術館です。実際に「蒐集の執念を感じさせる文章」が、本館入口前の床に石碑として埋め込まれています。いや、それがなくとも、陶磁器を執念深く集めて、愛したことが匂い立っている美術館です。私も好きなものには執念を燃やすので、それが良く分かりました。

個人美術館なので、存続が大変だと思いますが、長く続いてもらいたい美術館です。

足利学校日本最古の学校に残る空気感

正門に掲げられている扁額(へんがく=看板)は有名です。江戸時代に林羅山(儒学者)が「學校」の扁額を書いたと伝わっており、現在の門に掲げられています。
足利学校の方丈。方丈とは学校の中心。講義や接客、学校行事に使われたところ

足利観光で、まず訪れたいのが足利学校です。奈良・平安時代に創建されたと伝わり、江戸期に整備された方丈(ほうじょう)や孔子廟(こうしびょう)などが再現されています。

衆寮(しゅりょう)。学生が学び、暮らすところ


建物は書院造を基本とし、木造の簡素な美しさと庭園の緑が調和しており、歩くだけで「学び舎」の気配を感じられます。

特に、孔子廟(こうしびょう)の瓦屋根とプロポーションが美しいと感じました。孔子廟(こうしびょう)とは、孔子を祀るお堂のことです。

足利学校の雰囲気は、建築の意匠そのものだけでなく「空気の静けさ=静謐さ」が魅力です。住宅設計に携わる立場から見ても、居心地や落ち着きを、どう空間に込めるかという点で大いに学べる場所だと感じました。

方丈の裏庭と孔子廟を見る

建物のプロポーションの基本的な意味と日本建築の「水平の調和」

北側から孔子廟を見る。軒の水平ラインが強調されている

建物における「プロポーション」とは、建築の形や要素同士の比率・バランスを意味します。簡単にいえば「見たときに美しく、安定して見えるかどうか」を決める要素です。

  • 寸法の比率
    建物全体の高さと幅の関係、窓の縦横比、屋根の勾配など。
  • 要素間のバランス
    壁と開口部(窓・ドア)の割合、柱や梁の太さとスパンの関係。
  • 人とのスケール感
    人が立ったときに圧迫感がないか、安心感があるか。

古代ギリシャ建築では黄金比(1:1.618)や白銀比(1:√2)といった数理的な比率が重視され、日本建築では柱の太さや屋根の出の寸法に経験的な「水平の調和」が使われてきました。

「水平の調和」とは、

  • 住宅も寺も「深い軒の出」「低く抑えた屋根」によって、地面に沿うような水平ラインを強調する。
  • 自然の景観(山・田畑・庭)と対立せず、風景に溶け込むようなスケール感を持つ。
  • 縦への誇張よりも横への広がりを重視することで、安定感と落ち着きを生む。

寺院では広い屋根の水平線が荘厳さを、住宅では軒や縁側の水平線が暮らしの安心感をつくっています。

AI作成「プロポーションの良い総二階の日本の家」

現在の足利学校は、いつ建てられたものなのか?無料駐車場は近くにあるのか?

「現在の足利学校の建物」は、当時の建物が現存しているわけではなく、史跡の復活事業として、江戸時代中期の姿に復原されたものです。

昭和63年(1988年)に復原工事が始まりその後完成して平成2年(1990年)に公開されました。

https://www.ashikaga-kankou.jp/spot/ashikagagakko

近くに無料駐車場が複数あります。私は、太平記館 観光駐車場を利用しました。太平記館 観光駐車場から足利学校入口までは、徒歩3分くらいです。

https://www.ashikaga-kankou.jp/access/parking

鑁阿寺(ばんなじ) ― 国宝本堂が語る武家の寺院建築。足利学校の隣なので一緒に観るべし

門から鑁阿寺を見る

次に訪れた鑁阿寺は、足利氏の氏寺として知られる中世寺院です。足利学校から、徒歩5分程なので、足利学校と鑁阿寺は一緒に観ることをお勧めします。

鑁阿寺

堀や土塁に囲まれた境内は城郭的であり、寺院でありながら武家の性格を色濃く残しています。
国宝に指定されている本堂は鎌倉時代の建築で、和様を基調に禅宗様の要素が取り入れられています。重厚な入母屋造の姿は「守る建築」としての存在感が際立ち、足利の歴史を肌で感じることができました。

1.武家の館から寺院へ ― 守りの起源

  • 鑁阿寺は足利氏の邸宅跡に建てられた真言宗大日派の寺院です。
  • 足利氏の館はもともと防御施設を兼ねており、堀や土塁、門を備えていました。
  • その遺構が現在も残り、寺の境内はまるで中世の武家屋敷のように守りを意識した構造になっています。

2. 建築的な守りの特徴

  • 総門・楼門・四脚門など複数の門を持ち、侵入経路を限定。
  • 周囲に堀(水濠)と土塁がめぐらされ、城郭に近い防御性を備える。
  • 本堂(国宝・鎌倉時代建立)**は重厚な和様建築で、災害や戦乱から仏を守る象徴的存在。

鑁阿寺に向かう参道には、足利市一番の有名人である相田みつを氏が手掛けた看板があります。

足利学校から鑁阿寺へ向かう参道
参道に面する、相田みつをの書道文字を生かした看板
相田みつを オマージュ看板。おもしろい

栗田美術館 ― 陶磁器と建築の共鳴

栗田美術館本館。屋根の軒の水平ラインが強調されている
色鮮やかな狛犬がお出迎え

そして、今回最も印象に残ったのが栗田美術館です。鑑賞時間は2時間程確保してください。

個人によって設立された美術館ながら、世界最大級の伊万里・柿右衛門コレクションを収蔵。昭和のRC建築による重厚空間は、陶磁器の魅力を最大限に引き立てています。

栗田美術館は、足利市の郊外にあり、三万坪の景勝の地を選び、自然を生かした作庭の中に、本館・歴史館・無名陶工祈念聖堂・陶磁会館などがあります。作庭を管理するだけでも、お金が掛かって、大変だと思いました。

美しい陶磁器を鑑賞出来ます。創立者の栗田英男氏の蒐集(しゅうしゅう)の執念が感じられる美術館です。私も執念深く、自分が良いと思う建築を造ろうと思いました。


訪問したのが日曜日だったのですが、人が少なかったのは少し残念でした。しかし、静かな館内でじっくり展示に向き合えるのも魅力の一つかもしれません。

栗田美術館 歴史館
歴史館入口
歴史館の上階


「見せたいものをどう空間で魅せるか」という展示建築の発想は、住宅におけるインテリアや照明計画にも通じるものがあります。

長く続いてもらいたい美術館なので、皆様お誘いの上、訪れて頂きたいと思いました。

栗田美術館の創立者 栗田英男氏について―趣味の陶磁器蒐集に投じた私財は、1970年代当時500億円!と言われている

栗田英男氏
本館入口外部の床に埋められた記念碑「魂の記録が隅々にまで色濃く執拗に燻りこめている」とある

個人美術館設立者として、ものすごい蒐集をした栗田英男氏について、ウィキペディアで調べました。問題があった人物のような記述もあり、興味深いです。

栗田英男(くりた ひでお、1912年12月20日 – 1996年10月4日)は、日本の商人(肥料商)、実業家(東京毎夕新聞社主、鉱山経営者)、総会屋、元衆議院議員、美術評論家(栗田美術館創設者)。中央大学法学部中退。

伊万里・鍋島の収集に超人的な情熱を注ぎ、コレクションの一部を1968年東京都中央区の栗田コレクションルームで一般公開し、1975年には地元足利市に3万坪の敷地面積を誇る栗田美術館を開館したが、これらの趣味に投じた私財は当時500億円とも言われた。1993年、足利市の自邸を財団法人栗田美術館に寄贈し、栗田英男記念館として公開していたが、2005年に収蔵品を栗田美術館に移転し、記念館は閉館した。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A0%97%E7%94%B0%E8%8B%B1%E7%94%B7

足利で建築をめぐる観光の魅力

今回の足利観光で改めて感じたのは、足利市が「建築を通じて歴史を体感できる町」だということです。

  • 足利学校=学ぶ建築
  • 鑁阿寺=守る建築
  • 栗田美術館=執念の蒐集家栗田英男氏と魅せる建築

それぞれの建物に異なる役割と表情があり、一日で日本建築史のエッセンスを歩いて巡ることができます。


栃木県で建築や歴史に関心のある方には、ぜひ足利を「建築めぐり」という視点で訪れていただきたいと思います。

足利市の産業と町の成り立ち

弱者の戦略
にんげんだもの。立川談志の「落語とは人間の業の肯定である」と共に、私のお気に入りの言葉

足利市は繊維産業で栄えた街です。また、相田みつを氏デザインの看板等を目にすることがあります。

① 繊維産業(足利織・足利銘仙)

足利銘仙

江戸時代から続く織物業が町の基盤で、「足利織」や「銘仙(めいせん)」で全国に名を馳せました。明治〜昭和初期には、銘仙の一大産地として全国の女性を彩った歴史があります。

銘仙は大正から昭和期に日本で大流行した絣(かすり)着物です。斬新なデザイン、鮮やかな色、しかも手ごろな値段の銘仙はファッショナブルな大衆着物として当時の女性に愛されました。

出典 https://www.ashikaga.life/2016/11/post-3003/

② 機械・電機工業

繊維産業の技術や工場が基盤となり、戦後は織機関連から発展した機械工業や電機産業が盛んになります。昭和後期には足利は「工業都市」としても知られ、大手企業の工場団地が造成されました。

③ 足利銘菓・食品産業

繊維業ほど有名ではありませんが、食品加工業や銘菓も足利の特色のひとつです。和菓子店も多く、観光土産では「古印最中(こいんもなか)」や「栗まんじゅう」などが定番です。

古印最中は、相田みつを氏デザインのロゴとパッケージで有名です。https://koundohonten.com/

④ 商都としての足利

足利は古くから渡良瀬川沿いの交通の要衝であり、繊維だけでなく問屋街を中心に商業が発展しました。現在も中心市街地には古い商家や蔵が残っており、建築的にも見どころが多いです。本当は、中心街に残る古い商家や蔵も見たいです。

⑤ 森高千里の渡良瀬橋@足利市

森高千里さんが、「渡良瀬橋」の歌詞に栃木県足利市の渡良瀬川に架かる橋を選んだ理由は、「言葉の響きが美しい」と感じたからで、地図を広げて川と橋の名前を探している時に目に留まったことがきっかけです。曲のイメージを膨らませる中で見つけた「渡良瀬川」という言葉の響きに惹かれ、この橋をモデルに楽曲が生まれました。

足利市の食文化・レストラン事情

① ご当地グルメ

  • ポテト入り焼きそば:戦後の食糧難を背景に誕生した、足利ならではのソウルフード。
  • 足利シュウマイ:玉ねぎと片栗粉ベースで、一般的な肉シュウマイとは別物。軽食として親しまれています。
  • うどん文化:群馬・埼玉と同じく小麦文化圏。シンプルな手打ちうどんを出す老舗も多いです。

② レストラン文化の独特さ―日曜日休業の店が多い

  • 個人経営のレストランが多い
     チェーンよりも個人店や洋食系の老舗が多く、建物や内装も昭和の雰囲気を残すものが目立ちます。これが「足利の飲食店は独特」という印象につながっていると思います。
  • 日曜日休業の店が多い

 理由はいくつか考えられます。

  • 足利は昔から「織物の町=問屋・工場中心の産業都市」で、日曜に稼働しない会社が多かったため、飲食店も日曜を休みにする慣習が残った。
  • 観光都市というより「地元の町」であり、観光客に合わせて営業日を設定していない。
  • 群馬や都内へ遊びに行く足利市民が多いため、地元で日曜営業しても需要が少ない。

そのため、足利観光に行く際には「日曜に営業しているお店を事前に調べておく」のが必須です。

栃木県内を「建築」を切り口に探訪しています

吉田武志

有限会社ヨシダクラフト 代表取締役・一級建築士栃木県宇都宮市を中心に、手作り感のある「暖房を止めて寝ても朝寒くない快適な注文住宅」と既存を生かした「リフォーム・リノベーション」を手掛けている。創業118年の工務店(2017年現在)。

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