文豪が暮らした名作平屋。林芙美子邸、建物内部の特別公開に参加しました
1ヶ月前に応募した「林芙美子記念館の建物内部の特別公開」に当選したので、普段は入れない林芙美子邸の建物内部を見学してきました。6/23金曜日13時からの特別公開には20人の定員に40名の応募があったそうです。
林芙美子邸は家と庭が一体となった、シンプルだけれど丁寧に造作された珠玉の平屋。道路から敷地を望むと高い竹林になっており、建物は全く見えず期待が高まります。
当日は晴れていましたが、敷地内に入ると林の中に入ったような暗さで異空間。庭と室内が鬱蒼とした樹木で暗くなっているのが、他の住宅には無い魅力の1つなのだと感じました。庭は樹木の影で暗い部分が多く、その影響で室内は全ての部屋が暗めなので、室内のオレンジ色の照明が室内はもちろん、庭からも美しく見えます。66年前に丁寧に造られた大工造作や建具を、照明が柔らかに照らしているのが庭からも分かります。間違っても、ハウスメーカーの新建材の内外装ではこのような質感は出ません。暗く鬱蒼としている為、蚊も多いようで防虫スプレーが備品になっていました。
林芙美子とは
林芙美子は、今から66年前に47歳の若さで亡くなった有名な女流作家で、代表作は自伝的小説「放浪記」や「浮雲」。「放浪記」は舞台化され、森光子のでんぐり返しで有名です。
生い立ちは壮絶。実の父親には認知されていません。行商人の義父と母と一緒に九州各地の木賃宿を転々とし、やがて尾道に辿り着きました。
尾道の女学校を卒業後に恋人を頼って上京し下足番・女工・事務員・女給などで自活し、当時付けていた日記が、後の昭和3年「放浪記」として雑誌連載され作家として認められます。
強烈な個性が伺えるエピソードとして、林芙美子が亡くなった時に、葬儀委員長の川端康成が、「林さんは生きている時に他の人に対してひどいこともしたのでありますが、あと二、三時間もすれば灰になってしまいますから、故人をどうか許してやっていただきたい」と異例の挨拶をしています。
放浪から「終の棲家」の建築へ
林芙美子記念館とは、林芙美子が新築し、昭和26 (1951) 年6月28日に生涯を閉じるまでの10年間住んでいた、家と庭が一体となった、素晴らしい平屋の住宅です。林芙美子記念館は、新宿区が管理し公開しています。
林芙美子は、終の棲家として並々ならぬ思いで家を建てることで放浪に終止符を打ちます。
昨日頂いた「昔の家」という林芙美子が書いたエッセイによると、芙美子が家づくりの勉強を始めたのは昭和9年で、家が完成したのが昭和16年。足かけ6年掛かっています。
エッセイ「昔の家」の中に、情景が浮かぶ素晴らしい記述があるので、忘れないように記載しておきます。暗いべんがら格子の奥から芸妓さんが顔を出すのが目に浮かびます。べんがら格子の写真はこちらからおかりしました。
渡邊大工に京都の建築を見学させたことは成功だと思った。
渡邊大工は京都の街に慣れてくると、泊まった宿の近くが、ぽんと町だったので、あの近くの華やかな家々も一人で見てまわっていた。
美しい紅殻格子(べんがらこうし)に見とれて、その格子をじいっと眺めていると、暗い格子の中から、美しい女の顔がのぞいたりして、渡邊大工は、ぽんと町の何たるかも知らないまま、京都は随分美人の多いところだと感心して宿へ戻って来た。
家を建てる前に200冊以上の家づくりの本を読んで勉強し、設計者や大工を連れて10日間の京都旅行に出かけて、民家を見学したり、木場に材木を見に行ったりしたようです。
今なら家づくりの本は、アマゾンや図書館でいくらでも手に入ります。しかし芙美子が家づくりの勉強を始めたのは昭和9年。当時、家づくりの本を200冊以上探すだけでも、大変だったと思います。
極貧で木賃宿を放浪していたからこそ、家づくりに賭ける思いも強かったのでしょう。
林芙美子記念館のWEBに掲載されている、家づくりに関する記述です。
芙美子は新居の建設のため、建築について勉強をし、設計者や大工を連れて京都の民家を見学に行ったり、材木を見に行くなど、その思い入れは格別でした。
このため、山口文象設計によるこの家は、数寄屋造りのこまやかさが感じられる京風の特色と、芙美子らしい民家風のおおらかさをあわせもち、落ち着きのある住まいになっています。
芙美子は客間よりも茶の間や風呂や厠や台所に十二分に金をかけるように考え、そのこだわりはこの家のあちらこちらに見ることができます。林芙美子記念館WEBより抜粋
設計者は山口文象、恋人は白井晟一
林芙美子邸の設計者は、山口文象です。
山口文象自邸写真はこちらからお借りました。
山口文象は浅草の大工の息子として生まれて、祖父は宮大工です。モダンな建築から和風建築の名手であった建築家。自邸も大屋根の趣のある住宅です。
想像ですが、林芙美子邸の設計は山口文象が行っていますが、実際は芙美子のイメージを、ほぼ忠実に設計に生かしたのではないかと思います。
また、林芙美子は、後に建築界の巨匠となる白井晟一と、パリで交際しています。当時、林芙美子は結婚していましたが、哲学を勉強しに来ていた白井晟一と恋に落ちたようです。さすがの林芙美子も、旦那さんと住む自邸の設計を、恋人の白井晟一に依頼するのは、気が咎めたのかもしれません。
白井晟一との恋愛は本にもなっています。
林芙美子記念館の建物内部の公開は年に3回のみ。WEBで応募。申し込み後の確認は必須
普段の林芙美子記念館は、住居部分や仕事部屋には入場できません。記念館となっているアトリエ1部屋だけが入場できる部屋で、住居部分や仕事部屋は、建物の外から室内を覗きこむのみです。
建物内部に上がれる特別公開は、6月・11月・3月の年3回で、1ヶ月前にWEBで案内を見つけて申込みました。
記念館のスタッフの方に、何故普段は入場させないのかを聞いたところ、古い建物なので、毎日多数の方を室内に入場させると、建物が傷んでしまうとのことでした。納得。
見学申し込みは、林芙美子記念館のWEBから出来ますが、受付機関は公益財団法人新宿未来創造財団 学芸課になっており、当日見学できるかの当確メールの返信はありませんでした。申込みしたら、見学できるのかメールか電話で確認したほうが良いですよ。
林芙美子記念館に行く前は、病院で電気ショック受けていました
6/23金曜日、林芙美子邸の見学前は、千歳烏山の東京ハートリズムクリニックで、3回目の電気ショックを受けてきました。
7/10から入院してカテーテルアブレーションという不整脈の手術を受けますが、「動悸・息切れ・めまい」が酷くて手術まで待てなかったのです。普段の半分程度しか身体が動かない感じでしたが、電気ショックを受けて脈が正常になり元気になりました。
当日朝、9時に病院で受付をして診察室前で待っていると、入院中のWさんが下りてきてくれました。同郷のWさんとはメールでやりとりをしたことはありましたが、初対面。
Wさんは、私のブログを見てカテーテルアブレーションの手術を決意し、同じ病院で手術を受けました。手術を受けたら、脈が正常になり身体がとても楽になったとのこと。
私のブログが、少しは人の役に立って良かったと感じた1日でもありました。
有限会社ヨシダクラフト 代表取締役・一級建築士栃木県宇都宮市を中心に、手作り感のある「暖房を止めて寝ても朝寒くない快適な注文住宅」と既存を生かした「リフォーム・リノベーション」を手掛けている。創業118年の工務店(2017年現在)。
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