未分類.

さて、昨日バブルの頃のことを少し書いたので、その頃のことを思い出しました。
高校2年になり、将来の夢も別になかったので、何となく家業の工務店を継ごうと考えていたので、理系に進みました。
宇都宮北高校という田んぼの真ん中の学校です。英語教育に力を入れて行こうという新設校でしたが、同級生で英語のしゃべれる奴は1人もいませんでした。
 数学の微分積分・物理が全くできず、数式を見ると
吐き気がして、テストでは0点~10点以下を連発。
生徒125人中、123番という好位置をマークしていました。
吐き気がしますから、家で勉強なんてしたことがなかったから当然ですね。俺よりバカが2人いるラッキー、てな調子でした。
当然、理系バカ大学も全て落ちて浪人決定。同じクラスの、今は県庁勤務の菊池くんが「東京で浪人生活するけど、いっしょに行こうぜ」てなことで、親に頼み込んで、高円寺の
今は無き、中央ゼミナールという予備校で浪人生活をすることにしました。
住んだのは荻窪の浜さんというお宅の下宿。10人くらいの
予備校生が各3畳の部屋での生活。
半年だけ初めて勉強しました。部屋の隣がトイレで、部屋との境の壁がベニア1枚という、今考えると、とんでもない部屋でした。隙間から見えてしまうので、ガムテープで塞いで生活。
トイレの音が全て聞こえる環境と、生まれて初めて勉強したストレスで、8月くらいにノイローゼ気味。
あいつのウンチする音を聞かされてしまったと思うと、腹が立って勉強どころではなくなりました。ベニア1枚じゃ当然ですね。
大家の浜さんと、トイレを使った奴を殴ろうかと思いましたもん。(笑)
2ヶ月間くらい勉強できず、浜さんに頼んでも、どうにもならないので、親に電話をして栃木から父親と大工さんに来てもらい、トイレの壁を防音壁にしてもらいました。
初めてうちが工務店で良かったと思いましたね。音は殆ど聞こえなくなりました。
劇的に音が無くなったので、(はじめがひどすぎましたが)初めておやじを見直した瞬間でした。
後で考えると、それが今、工務店をやっている原因の1つかも知れません。
というわけで、文系に変えて、めでたく?東洋大学経営学部入学。第一希望は何故か関西大学でした。今度は大阪に行ってみようと。
今考えると、どこでもいいんですが、まだバブルが始まった頃の学歴社会。トイレ事件で正味4ヶ月勉強できなかったので、ちゃんとやってたら、とはその時思いました。
入学したら、授業は全く面白くなく、1ヶ月に2日くらいしか学校に行きませんでした。
アルバイトばかり。警備員、ウェイター、建築現場の材料運搬、広告屋さんの原稿運び、など。
ちょうど、バブルが始まったころで、近くに住んでいた浪人時代の友人の三沢くんとよく遊んでいました。
三沢くんのお姉ちゃんが、外資系航空会社のスチュワーデスで、その彼氏が鎌倉に住んでいたIさんという、おじさん。
航空会社の予約課の課長かなんかで、旅行代理店からのバックマージンで稼いでいたのか、何故かお金持ち。
「今度、ベンツ貰うから、お前にやるからな」なんて三沢くんに言ってましたっけ。
身近にあった小バブルでした。
つづく。

吉田武志

有限会社ヨシダクラフト 代表取締役・一級建築士

栃木県宇都宮市を中心に、手作り感のある「暖房を止めて寝ても朝寒くない快適な注文住宅」と既存を生かした「リフォーム・リノベーション」を手掛けている。創業118年の工務店(2017年現在)。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。


*